Eisblumelein:


「ユーリさん」
 あまりにもらしくないヴェイグの様子に、ユーリは呆然と目を瞬いた。それから、出そうになる溜息を何とか押さえ込む。
 ヴェイグがピーチパイを(それもクレアがヴェイグのために作ったピーチパイを、だ)一口も食べずに、フォークを持つこともなく押しつけて食堂を飛び出した。考えられる理由は、自分しかない。
 ・・・そんなに、嫌だったってか?会話すら拒絶するほどに。
 前の通りに、そうふるまったはずだった。基本的に誰に対しても、ユーリの態度は変わらない。
 だから別の誰かへ接するのと同じように、そうしたつもり、だったのだが。
 正直へこんでいるユーリの名を呼んだクレアが、ピーチパイを示した。ヴェイグのために作ったというピーチパイを。
 ヴェイグがあなたにと言ったんですから。
 クレアは続けて、ユーリに席に着くよう促した。キッチンで紅茶を用意して、自らも向かいに座る。
「・・・いただきます」
「どうぞ」
 なんだか不思議な空気をまとった食堂で、ユーリはピーチパイにフォークを入れる。
 さく、という軽やかな音とともにフォークが刺さり、持ち上げるととろりとしたフィリングが顔をのぞかせた。甘すぎず、柔らかすぎず、ちょうどいい桃とさくさくしたパイのバランスがいい。
 とにかくなんというか、おいしい。なるほど、ヴェイグが気に入るわけだ。
 うまい、と素直に称すると、クレアは当然です、とちょっと得意げに微笑んだ。ヴェイグのために作ったのだから、おいしいに決まっている。
 それから紅茶を一口飲んで、クレアは真面目な表情になった。
「なにがあったのか、私が聞いても、いいですか?」
 ヴェイグがユーリと仲良くなって、それはとてもうれしかった。けれど、あの日以降二人が一緒にいるところを見たことがない。
 ヴェイグともユーリとも、それぞれとは言葉を交わすけれど、二人と話したことはない。
 ユーリの方にはこれといった違和感は見つけられない(それはクレアがあまりユーリを知らないからかもしれない)けれど、ヴェイグは違った。溜息がすごく増えた。ご飯もあまり食べないし、部屋に一人でいることが多くなった。
 ・・・それから、二人でいることは絶対にないのに、同じ空間にいるとユーリばかりを見ている。そして気配に鋭くないはずがないのに、ユーリはそれに対してなんの反応も見せない。振り向くこともなければ、まるで完全に存在をなくしているような、そんな風に思える。かと思えば、さっきは何事もなかったように言葉をかけた。
 ヴェイグが不安定なのはたぶん彼のせいだと、クレアは思っている。確信はないけれど。
 でもそれに口を出してもいいのかどうか、決めかねている。
「あー・・・」
 ユーリはバツの悪そうな顔をして言葉にならない声をもらした。
 正直な話、悪いのは一方的に自分のような気がするのだ。そもそもあの日に暴走したのが間違いだった。そこから言えばキリがないのだが。
 前のように、そう思ってもなかなかうまくはいかなくて、必要以上に距離を置いた。物言いたげな視線を感じても、今は話に夢中になっているのだと気づかないフリをした。本当は気になって仕方がなかったのに、その視線がどの感情を伝えようとしているのかわからなくて。
 そうして毎日をなんとかやり過ごしてきたのに、さっきの一瞬で崩れてしまった。幼なじみといるヴェイグが、あのときから一度も見ることのなかった微笑みを浮かべているのを見てしまったから。
 その結果が、これだ。思わず逃げるほどの、会話すら拒絶するほどの刺激を与えてしまった。
 ユーリが考えを巡らせているのを、クレアは向かいで静かに待っていた。
 やがて小さく溜息をついてから、ユーリは苦笑にも似た笑みを浮かべる。
「悪いけど、聞かないでくれるか」
「・・・わかりました」
 今の状況で、掻い摘んで説明できる気がしない。ヴェイグが女になったなんて本人の了承なしに話せないし、今話したら愚痴になってしまいそうだ。しかも自己嫌悪の。
 他人だから話せることもあるけれど、これはそういう類のものではない。
 なんとなく察したらしいクレアが頷くのを見て、ユーリはもう一度悪いな、と呟いた。
 それから立ち上がって、空になった皿を返却する。悩んでいても食べてしまうあたり、自分は相当甘いものに目がないらしいと少々笑って。
「うまかった。今度作り方教えてくれよ」
「もちろんです」
 いつでも来てください、とクレアが笑顔を見せた。
 食堂を出ようとドアを開けたユーリは、けれどそこで一度振り返る。ああそうだ、とまるで今思いついたかのように、
「ヴェイグが来たら、相談に乗ってやってくれ」
 言ったユーリに、クレアがうれしそうに頷いた。この人は本当にヴェイグのことを思ってくれているのだと、伝わったから。

 それからヴェイグがクレアのところを再び訪れたのは、少し後のこと。

きっかけ

(やっぱりこの人は大人なんだ)

  

結局はどっちも不安定
ユーリさん的にはふつうのつもりだったけれど、ヴェイグ的にはそうではなかったという話
ていうかユーリさん誰に対してもこんなことしてんのかw
120802