Eisblumelein:


 いつ誰が来るかわからない食堂で話をするのもよくないだろうと、クレアはヴェイグを連れて借り受けた個室に来ていた。
 片方のベッドにヴェイグを座らせて、自分は目の前に立つ。腰を落ち着ける様子のないクレアにヴェイグが立ち上がろうとするが、クレアに止められて再びベッドに腰を下ろした。
 クレアはヴェイグを見つめたまま、口を開かずに待っていた。
 こういうとき、促すのはよくないのだ。ヴェイグは遠慮して、きっとなんでもない、って言ってしまうから。
 やがてヴェイグがクレアから視線を外して、小さく呟いた。
「・・・助けてくれ、クレア」
 どうしたらいいのか、わからないんだ。
 それだけ言って俯いてしまったヴェイグに、クレアは眉を下げる。
 ヴェイグは心配ごとは隠すタイプだ。いつだって一人で解決しようとする。それは誰に対しても同じだけれど、特にクレアには絶対に知られないようにする。
 クレアはいつもそれを外から見ているだけ。悩んでいるのを感じていても、直接助けになることはできなかった。なにかあったら相談してね、と何度言っても、そんなことは一度もなかった。
 そのヴェイグが助けてくれ、なんて。よっぽど苦しいんだろうと思う。わからないんだと思う。
 それが、悲しくて。
「・・・ユーリさんのこと、よね?」
 クレアは膝を曲げて、下からヴェイグをのぞき込む。目を見開いたヴェイグが、けれど小さく頷いた。
 昼にあんなことがあったあとだ、クレアが気づかないはずがない。クレアじゃなくても、きっとなにかあったと思うだろう。あの態度は本当によくなかったと自分でも思う。ユーリのことも傷つけたかもしれない。
 でも、仕方なかったのだ。だってあの笑みは、今までと全然違ったから。
 話してくれる?と優しく促したクレアに、ヴェイグはゆっくりと口を開いた。
 ハロルドの実験のこと、助けてくれたユーリのこと、その間にあったこと、それから、告白のこと。女になったと聞いたときクレアは驚いた顔をしたけれど、嘘だとは言わなかった。
 すべてを話し終えてから、ヴェイグは目を伏せる。こんなことを話してもよかったのかどうか、今でも不安が残っていた。
「そう・・・」
 クレアはそれだけ呟く。
 大変だったとかがんばったとか、そういうことではないと思ったから。ふさわしい言葉が見つからなかった。それから、戻ってきたときになんとなく様子がおかしかった理由がわかった気がした。
 ヴェイグはクレアを見て、目に見えて安心した顔をした(それはクレアにしかわからない変化かもしれないけれど)。なにかあったのかと、少し不安になったのだ。けれど問題はなかったというから、その不安はすぐに消えてしまった。
 でもそれは、きっと間違い。
 ユーリのことはあまり知らないけれど、誰が相手でも対等に接してくれる、言うなれば大人だった。そのユーリがどこかよそよそしい態度で、それなのにヴェイグに触れた手はとても優しかった。彼もきっと、あのときから無理をしていたのだ。
「ねぇ、ヴェイグ。ヴェイグが今思っていることは、なに?」
 どんなことを思って、苦しいの?
「・・・なかったことにしろと、そう言った」
 ユーリは結局なかったことにしたのだから、だからもう、思った通りになったのに、心が痛い。
 ぽつりぽつりと続けたヴェイグを、クレアは静かに待っていた。
 自分のことばかり考えていた。傷つくのが嫌だった。だからああやって拒絶したのだ。なのに、今こんなに苦しいとクレアに相談している。助けてくれなんて、言う資格はないのに。
 きっとそんな風に思っているのだろうヴェイグにクレアが苦笑にも似た笑みを見せて、ヴェイグの名を呼んだ。
 伏せていた目を開けて、クレアの瞳を見る。透き通る翠を見ているのがつらかった。
 それでも、縋らずにはいられなかった。くれあ、と名前をこぼす。
「伝えたら、いいんじゃないかしら」
 クレアは立ち上がると、ベッドに座ったままのヴェイグの頭を抱きしめる。抵抗もなく身体を預けて、ヴェイグはクレアの言葉を待った。
 白銀を撫でて、続ける。
「ヴェイグの気持ちを、全部伝えるの。私に話せたんだから、ユーリさんにだって伝えられるわ」
 言葉って、とっても難しいと思う。
 使い方一つで人を傷つけて、すれ違う。けれど同じように言葉を使って、その関係はよりよいものへ変えていける。素直に気持ちを伝えれば、わかりあえないことなんてない。
 クレアはそう思っている。わかりあおうとする気持ちと、それを伝える言葉があれば、きっと大丈夫。
 自分の考えを再確認して、クレアは知らず頷く。
「私はね、ヴェイグ」
「・・・?」
「ヴェイグが私に話してくれて、とてもうれしかった。ヴェイグがどんなことを考えていて、どんなことに悩んでいるのかわかって、私を少しでも頼りにしてくれて」
 ありがとう、ヴェイグ。
 ヴェイグの頭を解放して、ヴェイグの目を見て。お礼を言うと、ヴェイグは驚いた顔を見せた。それから首を振る。
「・・・ありがとう、クレア」
 話を聞いてくれて。話せて、よかった。そんな気持ちを込めて、ヴェイグが微笑した。
 その笑みは、普段あまり見せないけれど、本物の笑み。クレアを安心させるために見せる、無理のある笑みとは違うもの。
 きっともう、ヴェイグは大丈夫。思って、クレアは柔らかい微笑みを返した。
「戻りましょう。私、もう一度ピーチパイを焼くわね」
「・・・ああ」
 先に立つヴェイグの背中を見つめながら、クレアは優しい笑みを浮かべる。
 初めてああやって相談してくれて、本当にうれしかったのだ。一人で背負ってばかりの、大切な家族。もっと、みんなを頼ってほしい。いつか、彼がいろんな人を頼れるようになったらいいと思う。
 だからそれまでは、見守っていたい。

家族

(きっともうすぐ、うまくいく)

  

クレアマジ聖域。聖域と書いてサンクチュアリと読む感じの
きれいごと、っていわれるかもしれないこともわかってて、それを貫くだけの強さを持っている子
ヴェイグとクレアは家族で兄妹で姉弟。どっちかというと後者の方が強い
ヴェイグが後ろ向きすぎたかもしれない
110930
121015 加筆修正