話がまとまったところで、歩きだそうとした矢先に再び嫌な予感。
向こうから駆けてきたのは、着替えてもいないエステル。仕事が終わって追いかけてきた、というわけではないらしい。
というかそもそもアレクセイを撒くために結構走ったはずだったのだが、なぜ見つかっているんだろうか。
いや、問題はそこではなくて。
「レイヴン、忘れも「あらありがと、嬢ちゃん!」
レイヴンなんてここにはいない、設定なのだ。
忘れものを届けてくれたらしいエステルの律儀さには頭が下がるが、なんでこのタイミングで、
「忘れものなんてしたんだよおっさん」
「ごめ、ごめんって!」
さすがにタイミングの悪さについては非があると思ったらしい。なあ?と横目で見ると、顔の前でパン、と手を合わせてレイヴンが言った。
少し後ろに立っていたヴェイグが瞳に不思議そうな色を乗せている。
ユーリがフレンでレイヴンがユーリなのだから、レイヴンはいない。だからこれがごまかせなければ、まずい。
笑顔で待っているエステルのところに近づいて、レイヴンはその手を取る。
「レイ「暗くて危ないから店まで送るわよ嬢ちゃん!さーレッツゴー!」
「あ、はい。ありがとうございます?」
ぐいぐいと腕を引いて、レイヴンは歩き出す。持ち前の天然を発揮して、エステルはこれといった疑問も呈さないまま引きずられていった。
それを見送って、ユーリは小さく溜息をつく。
ものすごく無理のある展開だった。後ろを窺うと、ヴェイグが眉を寄せて二人が消えた路地を見ている。
しばらくの沈黙の後、小さく口を開いた。
「・・・いい人だな」
「は?・・・あー、まあ、な」
まさかの発言に、ユーリは一瞬呆気にとられる。今までのレイヴンを見た上でそう評価できるとはある意味大物である。
暗くて危ないから送る、という部分に引っかかったのだろうか。それで勘違いしてくれていた方がまだ救いがある。
人を信じられるのは長所だが、信じすぎなような気もする。
思いつつ曖昧に返しながら、ユーリはヴェイグを見つめた。
「そういえば、金はあるのか?」
ホテルに泊まるにしても、金はいるのだ。
ふとそこに思い当たって、ユーリは尋ねる。一応言っておくが、たかるつもりはない。当てが外れたからといって直接人をだますようなことをする気はない。
というかこんなに信頼されている状態でそんなことができる人間がいたら見てみたい。ヴェイグは少々考えて、貯金を下ろしてきたと答えた。
「だが、5億はない」
「そりゃそうだ」
そんな大金持ち歩くわけがないし、あればもう少し疑り深くなっているはずだ。
どうすっかな、とユーリはぼやくと、とりあえずヴェイグを促して歩きだした。
空いているホテルを探すのはともかく、アレクセイから逃げる方法を見つけるのには骨が折れる。借金取り(正確には違うだろうが似たようなものだ)というのは無駄に手回しがよくて動かす金があり、そして手段を選ばない。
自分は残ってヴェイグを故郷に帰せば一時的に守ることはできるだろうが、あの様子だと故郷の場所も知っている。そこを突かれたら打つ手がない。
・・・待て、どうしてこんなに必死に考えている。所詮彼は他人であって、どうなろうと自分には関係ない、はずだ。
だましたことに良心が痛んでいる、のだろうか。
難しい顔で思考を巡らせているユーリになにを思ったか、ヴェイグが小さく呼びかけた。
振り向くと、立ち止まっている。
「・・・すまない」
突然来て、騒ぎ立ててしまって。
ヴェイグはそう続けて視線を下げた。
新聞で別れたままの兄を見つけて、なにも考えずに出てきてしまった。もし生きているなら、この町に来たら会えると思った。弁護士を訪ねようとしたところで銀行から出てくるのを見つけたのだ。
けれどその場で声をかけることはできなくて、ようやく決心がついたときにはもう夕方になっていた。
「ヴェイグ、」
「一緒にいてくれとは言わない。たまに会ってくれれば、それも嫌なら手紙を書いてくれるだけでも、いいから」
そこまで言って、ヴェイグは完全に俯いてしまった。
ユーリは言葉が見つからないまま、白銀の髪を見つめる。謝る必要はないし、むしろ謝らなければならないのはこちらの方だ。
ヴェイグの望みは叶えてやりたいが、けれどユーリはユーリであってフレンではない。ジレンマ、とでも言おうか。
できることはしてやりたい。だがフレンでない、・・・彼の兄でない自分には、彼が本当に望むことはしてやれないのだ。
思わず溜息をつくと、ヴェイグがぽつりと呟いた。
「・・・迷惑、か」
「違う」
でも、そういう顔をしている。
言葉を探して、ユーリは視線を彷徨わせる。
いっそのことここですべてばらしてしまおうか。そこまで頭を掠めて、それから思い直した。
違う、ともう一度否定して。
「ちょっと混乱してるだけだ。オレだってずっと独りだと思ってたんだから」
別れたりしない。兄弟なんだから、一緒にやっていけばいいだろ。
補足のように続けると、ヴェイグは顔を上げて頷いた。その表情に安心の色を見て、こっちも安心する。
投げ出したくなかった。兄として慕ってくるヴェイグを裏切りたくなかった。
そう、言えば聞こえはいいが、これは建前だ。結局のところ、ここですべてを話して彼に嫌われるのが、拒絶されるのが怖かっただけ。
それと同時に、これはユーリの本音でもあった。独りだった。家族がほしかった。
だから、放したくなかった。再び嘘を重ねてしまったことは申し訳ないが、
「見つけたわ!!」
なにかをつかみかけたところで大きな声が響いて、思考を中断する。
聞き覚えがあると思って顔を上げると、少女が一人駆けてくるところだった。
ユーリの目の前で立ち止まると、きっと睨みつける。
ああ、見覚えのある顔だ。思い当たって、ユーリは内心溜息をついた。
彼女と別れる・・・いや、彼女に捨てられる原因になった田舎のお嬢様である。これはまずい展開だな、なんて考えて、うんざりした。
「騙したのね!」
「別に騙してないぜ。そっちの勘違いだ」
目に見えて怒っている彼女の相手をするのも面倒だった。それどころではないというのに。
ヴェイグはなにが起こっているのかわからないようで、口を開く様子はなかった。
少女はユーリの言葉に頬を真っ赤にして、白い手を振りあげる。甘んじて受けると、鋭い音とともに焼けるような痛みが走った。
ヴェイグが目を見開いて二人を見つめる。怒りが収まらないらしい少女は肩で息をしながら、ふとヴェイグに目をやった。
少女が口を開く前に、ユーリが先手を打つ。
「そいつは関係ない」
「・・・そう。なら貴方には何も言わないけれど、ジゴロなんかとつきあわない方がいいわよ」
ユーリをちらりと見て、ふんっと顔を背けると、少女は足早にその場を去った。
すぐに車の音がしたところを見ると、どうやら近くまでは車で来たらしい。
そんなどうでもいいことを考えてから、ユーリは未だ呆然としているヴェイグに向き直った。
「・・・ジゴロで、がっかりした?」
「・・・・いや、」
ジゴロがどんな生活をしている人間か、ヴェイグも知らないわけではないだろう。だから兄が(正確には兄ではないが)そんな風に落ちぶれていたらがっかりするだろうと。
そこではっきりと見損なったと言ってくれたら、すべてを話してしまおうと思った。その結果嫌われても仕方がないと。
さっきと矛盾してんな、と内心苦笑して、けれど受け入れられてしまったから、この話は終わりだ。
ただし、ヴェイグを解放するタイミングをまた逃してしまったが。
「行くか」
「・・・ああ」
とりあえず今のは忘れるか、なんて結構な問題を放り投げると、ユーリはヴェイグを促して歩きだした。
(全部が嘘じゃない、けれど全部が本当でもない)
相変わらず切りどころが行方不明
自分だけが楽しいという状況に陥っている気がします←
130630